ログイン結婚式まで、あと二日。朝日が差し込む王城の一室で、ルピナスは静かに目を覚ました。「おはようございます。」部屋へ入ってきたのはサクラディウスだった。今日は王ではなく、一人の父として娘に会いに来たのだ。「少し付き合ってくれるか。」ルピナスは頷いた。二人が向かったのは、王城の奥にある小さな部屋。そこは亡き王妃が生前、大切な品々を保管していた場所だった。サクラディウスは古い木箱をそっと開く。「これは……。」中には、一つの紫水晶のブローチが納められていた。藤の花を模した繊細な細工。光を受けるたび、優しく紫色に輝いている。「お母様の……。」「ああ。」サクラディウスは静かに頷いた。「結婚式の日に身につけていたものだ。」ルピナスは震える手でブローチを受け取る。母の温もりが、今も残っているような気がした。「本当は……。」父は小さく笑う。「私が直接渡したかった。」「だが、その役目はお前の伴侶に任せようと思っていた。」その言葉に、ルピナスは目を丸くする。そこへ静かなノックが響いた。「失礼します。」部屋へ入ってきたのはフジだった。少し緊張した表情で頭を下げる。「呼んでいただき、ありがとうございます。」サクラディウスはブローチをフジへ差し出した。「頼みがある。」「結婚式の日、このブローチをルピナスにつけてやってくれ。」「これは私からではない。」「母から娘への贈り物だ。」フジは両手で受け取り、深く頭を下げた。「必ず。」「大切に受け継ぎます。」サクラディウスは二人を見つめ、穏やかに笑った。「フジ。」「はい。」「昔のお前なら、『命に代えて守ります』と言っただろう。」フジは少し照れたように笑う。「……はい。」「ですが、今は違います。」サクラディウスも笑みを深くした。「そうだ。」「命を懸けるのではない。」「命ある限り、一緒に笑って生きてほしい。」その言葉に、ルピナスの瞳から涙がこぼれる。「お父様……。」サクラディウスは娘の頭を優しく撫でた。「幸せになりなさい。」「お母様の分まで。」ルピナスは涙をぬぐいながら、大きく頷く。「はい。」「必ず幸せになります。」父と娘は静かに抱き合った。長い年月を経て、ようやく交わされた親子の約束だった。そしてフジは胸元のブローチを見つめながら、心の中で静か
結婚式まで、あと三日。 王都は祝福の空気に包まれていた。 通りには藤色の花が飾られ、子どもたちは笑顔で駆け回る。 窓からその景色を眺めながら、ルピナスは静かに微笑んだ。 「本当に……ここまで来たのね。」 あの日、処刑台へ向かっていた自分が、この未来を想像できただろうか。 「ルピナス!」 勢いよく扉が開き、ダリアが飛び込んでくる。 「花嫁さん! ドレスの最終確認よ!」 その後ろからマーガレットも姿を見せた。 「髪飾りも届きました。」 衣装室には純白のドレスが静かに飾られている。 胸元には世界樹を模した刺繍。 裾には藤の花が優しく咲いていた。 ルピナスが袖を通すと、ダリアが思わず息を呑む。 「綺麗……。」 鏡に映る自分を見つめながら、ルピナスは胸に手を当てた。 前世では罪人の服しか着られなかった。 けれど今は違う。 愛する人の隣へ歩くための花嫁衣装だった。 「泣いちゃ駄目よ。」 ダリアが笑う。 「化粧が落ちちゃうから。」 三人は顔を見合わせ、笑い合った。 衣装合わせを終えた夕方。 ルピナスは庭園へ向かった。 藤棚の下では、フジが夕日を眺めている。 「待たせました。」 振り向いたフジは、優しく微笑んだ。 「いや。俺も今来たところだ。」 二人は並んで歩き始める。 風に揺れる藤の花が、静かに舞い落ちた。 「あと三日ですね。」 「ああ。」 「緊張していますか?」 フジは少し考え、照れたように笑う。 「戦場では緊張しなかった。」 「でも結婚式は別だ。」 その言葉に、ルピナスは吹き出してしまう。 「フジでもそんなことがあるんですね。」 「失敗したくない。」 「世界で一番大切な日だから。」 ルピナスの頬が赤く染まった。 「私も同じです。」 フジはそっと彼女の手を握る。 「これから先、嬉しい日も悲しい日もある。」 「それでも、一緒に歩いていこう。」 「はい。」 迷いなく重ねられた手。 夕日に照らされた二人の影は、一つに寄り添っていた。 結婚式まで、あと三日。 幸せへの扉は、もうすぐ目の前まで来ている。 そして次の日、ルピナスは亡き母が遺した"最後の贈り物"と出会うことになる──。 (第80話 母から娘へ)
朝露に濡れた世界樹が、柔らかな陽光を受けて輝いていた。結婚式まで、あと数日。王城では準備が慌ただしく進められている。ルピナスは一人、父・サクラディウスに呼ばれ、王の執務室を訪れた。「お父様。」「入っておいで。」優しい声だった。王ではなく、一人の父親の声。ルピナスは静かに椅子へ腰掛ける。机の上には一冊の古いアルバムが置かれていた。「これは……。」ページを開く。そこには幼い頃の自分。父の肩車ではしゃぐ姿。母と三人で笑い合う姿。忘れていた思い出が、一枚一枚よみがえる。「こんな写真……。」「全部、大切に取ってあった。」サクラディウスは優しく微笑んだ。「王という立場になってから、お前と過ごす時間は少なくなってしまった。」「もっと話を聞いてやればよかった。」「もっと抱きしめてやればよかった。」ルピナスは首を横に振る。「そんなこと……。」「あります。」父は静かに言った。「私は王である前に、お前の父親だった。」その言葉に、ルピナスの目が潤む。「すまなかった。」父の謝罪だった。王ではない。一人の父親としての。ルピナスは涙をこらえながら笑った。「もう十分です。」「私は幸せです。」「だから、お父様も自分を責めないでください。」父娘は静かに笑い合った。───その頃。城の中庭では、フジが落ち着かない様子で立っていた。ダリアが腕を組み、にやりと笑う。「緊張してる?」「……少し。」「少しどころじゃないでしょ。」フジは苦笑した。「ラスボスより緊張する。」ダリアは思わず吹き出した。「世界を救った騎士が?」「好きな人のお父様には勝てない。」その返事に、ダリアは大笑いした。「それでこそフジ!」───やがて扉が開く。執事に案内され、フジは執務室へ入った。サクラディウスは静かに立ち上がる。二人だけの空間。しばらく沈黙が続いた。先に口を開いたのは王だった。「フジ。」「はい。」「娘を愛しているか。」迷いは一瞬もなかった。「はい。」「命より大切です。」サクラディウスは静かに首を横へ振る。「違う。」フジは目を見開く。「命より大切では困る。」「……え?」「命を懸けて守るのではない。」「命ある限り、一緒に笑って生きてほしい。」その言葉は、父親だからこそ伝えられる願いだった。フ
王都に咲き誇る藤の花は、春風に揺れていた。戦いから一か月。復興は着実に進み、人々の笑顔も以前より増えている。今日、王城では小さな送別会が開かれていた。「みんな集まったわね。」ダリアが嬉しそうに笑う。長い戦いを共に乗り越えた仲間たちが、一堂に会していた。ローゼン。マーガレット。フジ。ルピナス。ラベンダー。そして――アスター。もう誰も剣を構えてはいない。それだけで十分幸せだった。───ローゼンはグラスを掲げる。「今日は、新しい人生へ旅立つ仲間たちを送り出したい。」「ここにいる全員が、この国の英雄だ。」「本当にありがとう。」全員が静かにグラスを合わせた。乾いた音が広間に響く。それは戦いの終わりを告げる音でもあった。───食事が落ち着いた頃。アスターは静かに立ち上がる。「そろそろ行く。」一瞬、空気が静まった。ルピナスが立ち上がる。「もう……行ってしまうんですか?」「ああ。」アスターは少し照れたように笑う。「この国には、もう俺は必要ない。」「そんなことありません!」ルピナスは首を振る。「あなたがいたから救われた命もあります。」アスターは静かに目を閉じた。「ありがとう。」「その言葉だけで十分だ。」彼は一人ひとりの顔を見る。ローゼン。「いい王になれ。」「任せろ。」マーガレット。「王を頼む。」「ええ。」フジ。「最後まで守り抜いたな。」「あなたも。」二人は固く握手を交わした。そして最後にルピナスの前へ立つ。「泣くな。」「……無理です。」ルピナスの目には涙が浮かんでいた。アスターは優しく笑う。「その笑顔を守れ。」「それがお前の幸せだ。」そう言って、そっと彼女の頭を撫でた。かつて世界を憎んだ男の手は、とても温かかった。───城門の前。馬へ荷物を積み終えたアスターが振り返る。ダリアは目を真っ赤にしている。「また会える?」「縁があればな。」「絶対だからね!」「……ああ。」珍しく素直に返事をした。ラベンダーも歩み寄る。「あなたも、ご自身の幸せを見つけてください。」アスターは小さく笑う。「探してみるさ。」ゆっくりと馬が歩き出す。誰も引き止めなかった。それが彼への一番の贈り物だと分かっていたから。遠ざかる背中へ向かって、ルピナスは大きな声で叫ぶ。
朝靄が晴れゆく王都。王城の執務室では、一人の青年が机に向かっていた。ローゼンだった。山積みになった報告書。復興計画。農地の再建。騎士団の再編。戦いが終わっても、王の仕事に終わりはない。「……思った以上だな。」静かに呟く。その時、扉が優しくノックされた。「失礼します。」マーガレットだった。「朝食をお持ちしました。」ローゼンは苦笑する。「また食べ忘れていたか。」「ええ。」「国王が倒れてしまっては、国民が心配します。」彼女は温かなスープを机へ置いた。「ありがとう。」ローゼンは久しぶりにゆっくりと食事を口にする。以前なら、一人ですべてを抱え込んでいた。しかし今は違う。隣には支えてくれる仲間がいる。───食事を終えたローゼンは、王城のバルコニーへ立った。眼下には復興に励む人々の姿が見える。瓦礫を運ぶ兵士。笑顔で店を開く商人。子どもたちの笑い声。その景色を見ながら、彼は静かに口を開いた。「……守れたんだな。」そこへフジがやって来る。「陛下。」「その呼び方はやめろ。」ローゼンは笑った。「今は二人だけだ。」フジも少しだけ笑みを浮かべる。「では、ローゼン。」「復興は順調です。」「騎士団も以前より団結しています。」ローゼンは頷いた。「それも、お前たちのおかげだ。」少しの沈黙。そしてローゼンは空を見上げた。「前世では……。」「王とは力で支配するものだと思っていた。」「民は従うもの。」「そう信じていた。」彼は静かに首を振る。「違った。」「王とは、一番最初に民を信じる者なんだな。」フジはその言葉を聞き、静かに頭を下げた。「きっと先王も、それを望んでいたのでしょう。」「そうかもしれない。」ローゼンは微笑んだ。「ようやく父を超えられる気がする。」───その頃、中庭ではルピナスとダリアが花壇を手入れしていた。「見て!」ダリアが嬉しそうに指差す。世界樹の根元に、小さな紫色の花が咲いている。「世界樹の花……。」ラベンダーも静かに近づいた。「新しい時代が始まる証です。」ルピナスは優しく花へ触れる。「あの日、みんなで守った世界なんですね。」風が吹き抜ける。花びらが空へ舞い上がった。───夕方。ローゼンは王座の間へ民を招いた。貴族だけではない。農民も。商人も。
王都に、柔らかな朝日が降り注ぐ。戦いが終わって数週間。壊れていた建物は少しずつ修復され、人々の表情にも穏やかな笑顔が戻っていた。ルピナスは城の庭園で花に水をあげている。「おはよう。」聞き慣れた声に振り返る。「フジ!」今日のフジは騎士団の制服ではなく、紺色のシンプルな私服だった。「今日は非番なんだ。」「えっ、本当に?」「ああ。」少し照れくさそうに笑う。「よかったら、一緒に街へ行かないか。」その一言でルピナスの胸は高鳴った。「……はい!」───城下町。パン屋から焼きたての香りが漂い、子どもたちが元気よく走り回る。「こんなふうに歩くの、初めてですね。」「そうだな。」今までは護衛か任務ばかりだった。今日は違う。ただの恋人同士。それだけで十分幸せだった。露店を眺めながら歩いていると、小さな女の子が転びそうになる。ルピナスが慌てて支えると、少女はにっこり笑った。「ありがとう、お姉ちゃん!」そのまま母親の元へ走っていく。フジは優しく笑った。「やっぱり、お前らしい。」「え?」「困っている人を見ると、放っておけない。」ルピナスは照れ笑いを浮かべた。「癖みたいなものです。」「その優しさが好きだ。」さらりと言われ、ルピナスは立ち止まる。「……もう。」「そんなこと急に言わないでください。」「本当のことだから。」フジは悪びれる様子もない。ルピナスは耳まで真っ赤になった。───噴水広場。ベンチへ腰掛け、二人で焼き菓子を分け合う。「おいしい。」「うん。」同じお菓子を半分こするだけなのに、不思議と特別な時間だった。突然、風が吹く。ルピナスの髪へ藤の花びらが一枚舞い降りた。フジはそっと手を伸ばし、その花びらを優しく取る。「取れた。」二人の距離が近い。ルピナスは思わず目を逸らした。「近いです……。」「悪い。」そう言いながらも、フジは優しく笑う。「照れてる?」「照れてません!」「顔、赤いぞ。」「赤くないです!」言い返すルピナスを見て、フジは珍しく声を出して笑った。その笑顔につられ、ルピナスも笑う。戦場では見られなかった、穏やかな時間。何よりも大切な時間だった。───帰り道。夕焼けが王都を茜色に染めていた。「今日は楽しかった。」ルピナスが小さく呟く。「ああ。」「また
ダリアは頭を抱えていた。目の前には満面の笑みを浮かべたルピナス。意味が分からない。本当に意味が分からない。「友達になりましょう」「断りますわ!」即答だった。教室中が頷いた。当然である。普通ならここで終わる。だが。ルピナスは普通ではなかった。「そう」「そうですわ」「じゃあ明日また聞くわ」「聞かなくて結構です!!」ダリアは思わず叫んだ。ルピナスは感心したように頷く。「良い声ね」「何を言ってますの!?」「将来有望だわ」「何がですの!?」ダリアは混乱していた。授業終了後。ルピナスは帰宅準備をしていた。そこへ。ローゼンが現れる。「ルピナス」「結構
ローゼン王子は決意した。調査が必要だ。なぜルピナスが自分を振ったのか。なぜ避けるのか。なぜ「結構です!!」なのか。その謎を解かなければならない。王族として。未来の国王として。そして何より。一人の男として。「殿下」側近が声をかける。「なんだ」「現在何をなさっているのでしょう」ローゼンは真剣な顔で答えた。「尾行だ」側近は頭を抱えた。学院の放課後。ルピナスは上機嫌だった。隣にはダリア。今日も美人である。「ダリアー!」「なんですの」「ケーキ!」「知っていますわ」「楽しみね!」「貴女は犬ですの?」ルピナスは笑った。前世ではほとんど話せなかった。
帰りの馬車の中。ルピナスは向かい側に座るフジを見つめていた。フジは窓の外を見ている。無言。ひたすら無言。静かだった。あまりにも静かだった。ルピナスは耐えられなくなった。「フジ」「なんだ」返事は早い。「趣味は?」「剣術」「それ仕事では?」「そうだな」会話終了。ルピナスは困った。ダリアがいたら笑っていただろう。「好きな食べ物は?」「米」「子供?」「違う」会話終了。ルピナスは天井を見上げた。何この人。難しい。しばらくして。フジが口を開いた。「お前」「なに?」「なぜ王子を振った」ルピナスは固まった。核心だった。聞かれると思っていた。
翌朝。第一王子ローゼンは寝不足だった。目の下にはうっすらと隈。朝食のパンを見つめながら呟く。「なぜだ……」隣にいた国王が顔を上げた。「何がだ?」「なぜ振られた」国王はパンを落とした。「は?」「ルピナスに振られた」「誰が?」「俺が」「ルピナスに?」「そうだ」国王は頭を抱えた。朝から重い話だった。「何かしたのか?」「していない」「本当に?」「していない」国王は疑わしい目を向けた。ローゼンは真剣だった。本気で分からないのだ。「ルピナスは昔からお前を好いていただろう」「そうだ」「ではなぜだ」「それが分からない」親子揃って分からなかった。その頃